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うしくびの人
うしくびの人
太宰府のご当地キャラ 千梅ちゃんに書いてもらった似顔絵です。 

基本オタクです 仕事中以外はアイドルのライブ会場かゆるキャラがいる場所かプロレスの会場かお笑いライブか食べ放題のお店にいます。

仕事は 自主警備システム、主に防犯カメラの設置販売を行っております
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2014年10月28日

サービスよりも展示会優先とかクソですベルコ社


母方の祖母が亡くなりましたのでしばらくいろんなところに顔出せませんあしからず。 

実際仏滅とか友引とか明治以降になってひろまっただけなのにそこに合わせるとか、歴史全くないがなww

葬儀屋の単なる言い訳。

しかも展示会やってるから出来んとか

ベルコ、悪徳業者やな 情弱騙すためのイベントを優先とかクソ






実際は明治期に暦に占い書くのが禁止になったから代わりにそれっぽいのを書いているだけ、仏教と関係ないし。



漢字の字面だけで判断する。Twitterなんかの単語だけで炎上するアフォな行為とおんなじなんだがな。



高島暦などの歴書の根底に流れる陰陽五行思想は、もともと中国の生まれで、鎌倉時代末期から室町時代にかけて日本に伝わってきたものです。今でも中国・香港・台湾などの中華圏では、日本同様に何事につけ吉凶を占い吉日を選んで行動する習慣があり、その指標となる通書(暦書)は毎年出版され、ベストセラーになっています。大陸から伝来した陰陽五行思想に基づく陰陽道は、古代日本においては律令制における中務省機関の一部署「陰陽寮」のなかで、占い・天文・時・暦の編纂や呪術等にかかわる重要な役割を果たします。しかし、明治になると新政府は近代科学導入の弊害になるとして、明治3年(1870年)に陰陽寮廃止してしまいました。その後、庶民の間で陰陽道由来の暦は依然として非公式に流布し、明治時代後半には暦注が人気を博して次第に独り歩きする状況となっていきました。第二次世界大戦後、旧明治法令・通達の廃止されると、暦注のひとつである六曜(六輝)カレンダーなどに広く用いられているようになり、占術や暦については九星占術を基本とする神宮館や神栄館による高島易断・高島暦が比較的よく使用されるようになったのです。 


  

Posted by うしくびの人 at 00:53Comments(0)自分のこと